海外放浪記〜心が触れたアジアの真実〜 #4:私たちはどこから来てどこにいくのか?


前回のあらすじ
マレーシア2日目、朝食に老舗の「何九海南茶店」を訪問。その後、Grabを初体験しパトルモスクへ。便利さを実感しつつ、東南アジア旅行での活用を推奨。昼はナシ・ブヤニを楽しみ、再びGrabでKLセントラル駅へ戻った。

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前回の放浪記の中でKLIA transitとGrabを使って、パトルモスクを訪問しましたが、

このパトルモスクは、イスラムの施設で、近隣の住民は毎日お祈りを捧げに訪れるといいます。

この日も、昼頃にお祈りの時間があり、その様子も拝見させて頂けました。

ピンクモスク(Putra Mosque)は、マレーシアの行政都市プトラジャヤに位置する、観光名所としても知られる壮大なモスクです。1999年に完成し、ローズピンクの砂岩で建てられた外観が特徴で、湖畔に佇む姿は非常に美しいです。大きなドームとミナレット(尖塔)が印象的で、最大15,000人を収容可能。非イスラム教徒も一部エリアを見学可能で、イスラム文化や建築の魅力を感じられます。訪問時には服装規定に留意が必要です。

イスラム教典「コーラン」の日本語訳

モスクの中には、観光客用のエリアが設けられていて、そこではコーランの内容をわかりやすくした資料がありました。

その中には日本語の資料もあったので読んでみると、

「私はどこから来たのか?」
「なぜ私はここにいるのか?」
「人生の目的はなんだろうか?」
「死後、私はどこに行くのか?」

といった内容が書かれていました。



最後まで読んでみると、宗教というのがいかに合理的に人類の悩みの答えを導いてきたか、そしてそれが今もなお多くの人に支持されるほど、客観的で普遍的なものなのかを思い知らされました。


アッラーはイスラム教における唯一絶対の神で、全宇宙の創造主とされています。「アッラー」という言葉はアラビア語で「神」を意味し、イスラム教徒にとっては全知全能で慈悲深い存在です。イスラム教の信仰は「タウヒード(一神教)」が中心で、アッラーを唯一の神として崇拝します。信仰の基本は「シャハーダ(信仰告白)」を含む五行に集約され、日々の礼拝(サラート)や慈善(ザカート)を通じて神とのつながりを深め、倫理的に生きることを重視します。

突然始まった礼拝

モスクを見学していると、突然アザーン(Azan)と呼ばれる祈りの呼びかけが聞こえてきました。

どうやらまもなく礼拝が始まる様子・・

礼拝中は、観光客もモスク内では着座しなければならず、撮影も禁止
(礼拝が終わると、係の人から「撮影OK」の合図が出ます)


少し前までは、モスクに観光できる時間に制限があったようですが、「礼拝中は着座・撮影禁止」をルール化することにより、時間制限がなくなり、観光客はいつ来ても見学できるようになったそうです。

それにしても、突然男性の低い声が鳴り響いた時には、何事かと思いました(笑)


(写真撮影を頼まれて撮影した後に逆にお願いして撮影してもらいました)


宗教について改めて考えさせられた

コーランの解説を隅から隅まで読みましたが、その中で引っかかるところがありました。

それが、

「我が民よ。アッラーのみを崇拝するのだ」
という部分。

神様がひとりしかいないという価値観だけは理解しがたく、それと同時に八百万の神が認められている日本人の魂をしっかり持っているのだと認識しました。

コーランの中にも、

どうすればアッラーを信じることができるか?
コップに水が溢れるほど入っている状態だと、水を足すことはできない。一度、コップに入っている水を空にしなさい。

という内容が書かれていますが、

自分の中にある価値観をリセットしないと、新しい価値観を信じることができないとのことで、僕の価値観の中には日本に古くから伝わる「日本神道」の価値観(魂)が眠っていることに気づかされました。




改めて、古事記などを読んで、神道に対する理解を深めたいと思いました。

日本神道は、日本の伝統的な宗教で、自然や祖先、土地の神々を崇拝する多神教です。「八百万の神」という概念があり、自然現象や特定の場所にも神が宿ると考えられます。神社は神道の信仰の中心で、参拝や祭りを通じて神との関係を深めます。特定の教典や教祖はなく、生活や文化に根ざした信仰が特徴です。調和や清浄を重視し、祖先崇拝や自然への畏敬の念が基本にあります。


(第5回に続く)