海外放浪記〜心が触れたアジアの真実〜 #9:歴史の教科書では教えてくれなかった第二次世界大戦の事実


前回のあらすじ
シンガポール・チャンギ空港に到着後、デジタルアライバルカードを登録し、スムーズに入国。MRTではクレジットカードのタッチ決済を利用し、Lavender駅近くのフードコートでチキンライスを堪能。宿泊先のホテル「BOSS」にチェックインし、豪華な施設に感動。移動の疲れから早めに就寝した。

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昨晩シンガポールについて翌日、
この日は朝からセントーサ島に向かいました。

そこでの目的は次の3つ。


セントーサでの目的

・シロト砦でWW IIの歴史を知る
・アトラクションやショーを体験する
・カジノがどんな場所なのか見学する

今回は「シロト砦で知ったWW IIの歴史」についてまとめますね!


ビボシティを経由してセントーサ島へ

まずセントーサ島に向かうには、ハーバーフロント駅でビボシティを経由して、ビボシティからセントーサエクスプレスに乗って、セントーサ島に向かいました。

このセントーサ・エクスプレスは、行きだけ【入島料($1)も含めて$4】かかるそうで、帰りは改札口がありません。

10時ごろ、セントーサ・エクスプレス・ビーチ駅に着いた後、徒歩でシロト砦を目指しました。

道中には、AR体験ができる場所やトレイルコースもあり、シロト砦に着く頃には汗ばむほど、いい運動になりました。



(セントーサ・エクスプレス・ビーチ駅周辺)



(AR体験をしました)



(トレイルコース)


シンガポールから見た第二次世界大戦の真実

シロト砦に向かう道中に立ち寄ったFort Imbiahでは、大航海時代にシンガポールで作られた砲弾の跡地を見学させていただきました。


そして、Fort Silosoに辿り着き、主に第二次世界大戦の資料館を中心に巡りました。



そこには、イギリスの植民地となった後、スエズ運河の開設と併せて港の危険が増したことで、港の防衛力を強化することになり、砲弾が設置されたと書かれていました。

また第二次世界大戦では、ヨーロッパ諸国はドイツの軍拡の対応で追われ、シンガポールは(ヨーロッパ諸国の防衛対象の)優先度が下がっていて、さらに港に砲弾を設置したことで、港から誰も攻めてこれないと油断していたところに、日本の侵略があったとのことです。



個人的に衝撃的だったのが、日本が周辺に侵略した理由として

「当時、世界最強国の一つになっていた日本の懸念点として、今後経済発展させていく上で、国土の狭さと資源の乏しさが課題となっていたことで、そのために満州鉄道を狙って侵略を仕掛けた」

と書かれていたことでした。



さらに、

石油施設だけは日本に制圧されることを防ぐために、砲弾を利用した

とも書かれているとおり、日本がシンガポールを攻めた理由として、石油施設を狙ったものだとしっかり書かれていていました。

歴史の教科書には一切書かれていない、シンガポールが昭南島に変わった1942年2月15日の歴史的事実を、生まれて30年経って初めて知ることになり、戦争で領土を侵略するのは双方ともに正義があるのだと改めて痛感させられました。


現地の人から見た日本の侵略

1942年2月シンガポールが昭南島になりましたが、当時の人からすると、港から攻めてくることはないと思っていた矢先の出来事だったらしく、日本が脅威だったとも書かれています。


ただ、シンガポール初代首相は

「同僚や私は若い時に第二次世界大戦や日本軍の占領を経験した世代です。そして日本軍や英国軍の誰も我々を小突き回したり蹴り回したりする権利はないと確信するようになりました。我々は自己統治ができ、自尊心を持つ国民になれる国で子供達を育てられると決意しました」

という言葉を残しており、それが今のシンガポールの経済発展に根付いていると確認しました。

それと同時に昨晩から見ている、シンガポールの景色は、第二次世界大戦での屈辱を、未来への希望と決意に変えた結果なのかもしれないと改めて感じました。


(第10回に続く)